2013年8月29日木曜日

見せるために買うアート

現在開催中のタグチ・アートコレクション「絵画は踊る」。

表参道のスパイラルでミュージアムピースの作品がずらりと並ぶコレクション展である。

コレクターの田口弘さんは元々タグボートの生みの親である。
TAGBOATの「TAG」は田口さんのTAGである。

ということで、アートをコレクションする楽しみについてウェブや雑誌に掲載するインタビューをするために、田口さんが運営する株式会社エムアウトに行ってきました。

田口さんが様々なお話をされた中で、圧巻だったのが、


『最初から多くの方に見てもらうことを意識してコレクションをしている』

ということ。

もちろん個人的な好き嫌いもあることはあるが、そんなことよりも

『作品は見た人の数が多ければ、それに応じてその価値を上げる』

と言ってました。

つまり、多くの人に観てもらうことを目的として購入しているわけで、決して個人的な趣味の延長ではないところにその凄さがある。

作品コレクションのやり方が、マーケットアウトという「市場のニーズに合わせた事業創出」に合致しているのだ。株式会社エムアウトの事業ミッションそのものだ。

やはり人並みはずれている。参りました。


よいコレクションとは、私利私欲を満足させるためではなく、あくまでも世の中の文化向上のために役立てることにあるのである。

それが結果として、作品価値の向上につながっていけば、尚良し、ということである。

コレクションは長期的な視点で考えていかなければならない。

これまではあまり販売はしてこなかったが、今後は価値がある程度上がりきった作品を販売し、今後の成長株を買うことによってコレクション内容の充実に努めていきたいとのこと。

アート作品は、「あくまでも残すことを目的として制作されていること」を改めて感じさせられた。


た。

2013年8月16日金曜日

アートを売買するということ

日本では、資産としてアート作品を売らずに持ち続けたままの人が多い。

作品を一切売ることなく、自分が亡くなるときにその財産が相続されるか、またはハーブ&ドロシーのように美術館にすべて寄贈するのかはさておき、資産家が美術館に寄贈することが一種のステイタスである欧米に比べて日本の場合、そういったものはない。

相続においても、時価評価され、とてつもない相続税を支払わされるというオチもありえるのだ。

そういった意味においては、アートを持ち続けるだけなく、売買することも重要なことである。
そもそも売買が発生しなければ、市場価値も見出せない。

さて、金融資産と比較すると、アートは長期的には値上りが高く期待できるが、短期的な売買には向かない資産である。

ある程度名の通った作家であれば、暴落するリスクは皆無に近く、安定した高値にてオークションハウスで取引されている。

従い、資産ポートフォリオの中の長期的に保有する財産としてアートを組み入れるというのは全体のバランスの中で効果的な資産形成を生むことができるのである。

作品を買ってすぐに転売するというのは投機的な意味合いがあり、そのようなコレクターは短期的な利益を得るためにオークションで意図的に価格を上げる操作をするといった危険性があると見られがちである。

プライマリーの販売価格とオークションの落札価格にあまりの差が出てしまうと、プライマリーの作品価格も需要に応じて作品を上げざるを得なくなる。そうなると、作品がそれまでのコレクター似売れなくなってしまうし、そのままオークション価格が上がり続ければよいのだが暴落してしまうと目もあてられない。

それゆえにプライマリー価格を安定させるためにコレクターにはなるべく作品を長く所有してもらいたいというのがギャラリー側の言い分である。
タグボートではプライマリー作品を購入後1年以内の転売を禁止しており、安心して売買できる環境を提供している。

セカンダリー市場の発展がプライマリー市場の活性化を生む。自動車の中古車市場がなければ新車を安心して買えないのと同じであり、アート市場もそこに安定的なセカンダリー市場があって初めてコレクターがプライマリー作品を購入できるのである。

しかし、国内では透明性のあるセカンダリー売買の取引のメインはオークションハウスであり、それ以外は言い値がまかり通るクローズドな世界で成り立っている。

クローズドな世界では、購入者にとって入手できる情報が少なすぎるがために、高い作品をつかまされてしまうという問題が発生する。
購入者と販売者の知識や情報の差が大きいと、知らないものが損をするという図式となり、現在の情報化社会においては考えられないような状況がある。

購入者は質の高い膨大な情報から自分にとって有用な情報をセレクトし、比較検討できるのが当たり前であり、そこに競争が働かないのは、市場が発展しない理由となっている。

ユニークピースは他に代替品がないことから正当な価格の比較はしにくいが、ある程度の目安をつけることができるはずである。


次に具体的にどのような作家の作品を買うと資産的なポートフォリオが安定するのかについて考えてみる。

2013年8月15日木曜日

アート購入の醍醐味

アートとの関わり方は「見る」から「買う」に変わることで、180度考え方が転換されるパラダイムシフトが起こる。

買うことによって初めてアートに積極的に関わることになるのである。

インテリアとして部屋を彩るアートの場合、それが目に慣れてくると買い換えたくなる。
しかも、部屋に飾ってマッチするとか、部屋が落ち着くという面ではインテリアを邪魔しない無難な作品を買うことになる。

しかしながら、アート収集の醍醐味は、アートをインテリアの要素の一つとして見ることではなく、こ
れまで見たこともないような面白いもの、創造性に富み、技術的にも秀でた作品を手にするというこ
とである。

見たこともない奇妙奇天烈な作品を先買いする人は歴史的な1ページを作る作家かもしれないとい
う期待感を持って作品を購入することが多い。

ロンドンで大手広告代理店を経営するチャールズ・サーチは英国を代表する現代アートのコレクションを所有している有名コレクターである。

サーチ・ギャラリーは、英国の現代アートに市場価値を付与し、アート・フェア等を通じて海外への普及を果たしたということで非常に尊敬に値する。

さらにチャールズ・サーチは、同時代のアメリカやドイツなどの若手の作品をロンドンに紹介し、若い作家・学生らに情報と刺激を与えただけでなく、当時ロンドンのゴールドスミス美術学校の学生であったダミアン・ハーストらの展覧会「フリーズ」展を開催しYBA(Young British Artists)として大きな影響を与えた。

そのダミアンハーストが、リーマンショックの翌日である2008年9月16日に、サザビーズのロンドンのオークションで自身の223作品を直販して、落札総額が1億1100万ポンド(約211億円)に達し、1人の芸術家の作品落札総額としては最高記録を樹立したことは記憶に新しい。

チャールズ・サーチは広告代理店を経営していただけあって、英国の現代アートのブームをある程度意図的に操作が可能だったのかもしれないが、やはりその先見の明と、若手育成による社会貢献に寄与できていることは結果として素晴らしいとしていいようがない。

さて、作家の価値が上がるかどうかは、ギャラリーの手腕によるところが大きい。どんなに才能があっても、世界を舞台に作品をプロモーションしなければ売れることないし、世間の目にその才能が試されることはない。

有能なギャラリストは、その作家を売るために「誰に見せるか、誰に批評してもらうか、誰に買ってもらうか」ということに最大限気をつかっており、それによって作家の価値が上がる術を知っているのである。

まだどの作品が将来的に資産的な価値が上がるのかが分からない場合は、どのギャラリーが取り扱っているかについて知ることも重要であろう。


2013年8月14日水曜日

アートは長期的な資産

アートは短期的な売買には向かない。

アートは購入後にすぐに売るものようなものではないし、そういった取引をしようとしても上手くいかない仕組みとなっている。

アートは長期的に保有することで着実に価値が上がっていく可能性が高い。
しかもある程度の価値のあるアートであれば、値下がりリスクは極めて低い。

作品によっては、数十倍、数百倍に大化けする場合もあるのである。
特にセカンダリーマーケットに存在しなかった、まだこれからの作家の作品の価格が上がりだしたら、とてつもない金額なることがある。

まだ創設したてのベンチャーに出資して、上場時のキャピタルゲインを得るようなものである。

ベンチャー投資はリスクが高いが、アーリーアダプターの企業に投資するファンドがあるように、リスクとリターンをうまく配分しながら、成長株のアートに投資するということもできる。

アートが金融資産と違うのは、それそのものを鑑賞して楽しめるということがある。

現代アートであれば、作家は生きているので直接話しもできるし、人を招いて自宅に展示した作品を見せるといった社交的な部分に役立たせることもできる。

まずは焦らずに自分の目でよいと思うものをじっくり選ぶこと。
そして、できるだけ多くの作品を目にすること。

それによって、時代の流れや作品の価値について俯瞰的に考えることになり、アートライフを満喫するだけでなく、資産的な価値を享受することができる。

作品を売ることによって得た利益で、今度は養われた目を信じて、より若手の成長株を買うということもできる。

アートは部屋に飾りたいという作品に関わらず、資産としての価値には、作品そのものの他にない独自性や、創造性が重視される。

ピカソやマティスも当時は異端中の異端であったし、世間に認めてもらうまでは先を走りすぎていたに違いない。

そういった作家、作品に出会うことで、自分の脳とか発想力を刺激することになれば、仕事面でも新しいアイデアを想起するのに役立つし、アートほど楽しいものはない。

2013年8月13日火曜日

現代アートは資産である

このビジネスをやっていると当たり前のことが、一般の人には広く認識されていないことがある。

それが、「アートは資産である」 ということ。

株や投資信託といった金融資産や、不動産資産と同じように、アートは資産のひとつとして認識されてしかるべきなのに、ほとんどの人はそれを知らない。

アート業界以外の私の知り合いでは、ピカソやルノアールは資産的な価値があることは理解できても、現代アートに資産的な価値があることを知るものはほとんどいない。

つまり、現代アートを資産として持つ、ということを理解している富裕層は日本にはほとんどいないのである。

日本の美術教育が悪いわけではない。台湾や香港の富裕層が日本より高い美術教育を受けてきたわけではない。
ただ彼らは、情報として、アートが資産になるということを一般論として知っているだけだ。
しかも、まだ富裕層の一つ前段階のような若者が、アートを資産としてどんどん買っているのである。

日本においても、これまでアート市場を拡大させるために、様々な草の根活動が行われてきたが、全てはアートファン同士の小さな集まりにすぎず、それがブームになるほどまでには至っていない。

それは、アートは資産である、ということを言う人が誰もいないからである。

もちろん、アートにおいて全てが資産的な価値があるわけではない。
セカンダリーマーケットで値がついて初めて資産的な価値が生じるのであって、国内で「アートは資産だ」とよべるような作品はまだごくわずかだ。

しかしながら、アートを資産として世の中に認識してもらい、同時並行的にセカンダリーマーケットを作っていかないと、プライマリーのマーケットは育たないのは当たり前である。

まずは、「アートは資産である」ということを言い続ける。
そして、理解を深めてもらう。 

そこから始めたい。

2013年8月12日月曜日

香港に行って分かったこと

5月に行ったART BASEL香港のこと。

2008年に始まったART HKは昨年、世界最高のアートフェアであるアートバーゼルに買収され、今年から名実ともにアートバーゼル香港として、本格的な世界の檜舞台に立った。

これまでのART HKと明らかに違うのは、出展ギャラリーの顔ぶれもさることながら、VIPルームもすごかった。

初日に最も売れたのは、オオタファインアーツ とVictoria Miroによる草間弥生の個展。
日本国内では見たことのない巨大な草間の立体作品には度肝を抜かされた。

草間弥生以外でアートバーゼル香港で展示されていた日本人作家としては、村上隆、奈良美智といった国際銘柄は香港のマーケットにおいても絶大なる存在感を誇った。

が、全て日本以外のギャラリーによる販売だ。

名和晃平も会期中のクリスティーズで3600万円を超える高値をつけ、SCAIでの展示作品も初日に売れたこともあり、国際銘柄としての本格的な第一歩を大きく踏み込んだイメージを作った。

全体としては、欧米の大きなギャラリーの存在感とその取り扱い作家の質・規模ともに圧倒されたが、具体やモノ派といった日本人作家を取り扱う海外ギャラリーも多かったのが印象的だ。

いずれにしても、アートフェア東京よりもこちらのアートバーゼル香港で国際銘柄の日本人作家の一級品を見ることができる。

それはなぜだろうか、と改めて思った。

もちろん、日本には現代アートの市場が極めて小さいからだというのが大きな理由、ではなぜ台湾や香港では市場があって、なぜ日本は市場が小さいままなのか。

そこには様々な理由があると思われるが、最も大きな理由に気づいたことがあるので次回以降はそれを明らかにしていく。















2013年4月29日月曜日

日本の文化を守るということ

日本の現代アートは数多く制作されているが、その多くは購入されずに そのまま作家のアトリエに放置されている。

その一方で、巨匠とよばれる作家のオリジナル作品のほとんどは海外の方が購入しており 国外に流失しているという事実がある。

つまり、代表的な日本人作家の作品がこの日本には残っていないのである。

数十年後。我々の下の世代は、国内の美術館では代表的な日本人の現代アート作品が見れないために 海外に渡航するして見るより他がないということもありえるのである。


もう待ったなしである。
ここで食い止めなければならない。

 我々日本人が、自国の現代アートを買うことで日本の文化を守らなければならない。


 「日本人はアートを見る人は多いけど、めったに買わないよね」

 このような一般論をあたかも既成事実のように信じ込んできたが、それを変えるときが来た。

 微力ながらも、戦います。